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父オットー・マインの過去(前編)

お待たせしました! 真のベルリン市民(その1)の続きです。

  1. 1948年@ベルリン(西独)子供時代のオットー・マインは東独・共産党員の息子カール・ネフと出会う。
  2. 1961年、東西ベルリンの境界線強化により彼らの友情も断ち切られた…はずだった。公式には。
  3. 1963年@西ベルリン ケネディ大統領のベルリン訪問と演説。実はこのとき、東西の壁に隔てられたオットーネフの2人は手話による交信を考え出し、その後も秘かに連絡をとり続けていた。
  4. 1967年@マールブルク(西独)オットーネフ再会。オットーは細菌(ウイルス?)学者となっている。おりしもミドリザルから致死性のマールブルク・ウイルスが検出された直後だった。
  5. 1972年@西ベルリン ネフ「真のベルリン市民」と呼ばれる秘密結社にオットーを勧誘する。入会の条件は、東西を問わずベルリンで生まれて育った者であること。目的は東西ベルリン統一。これを聞かされたオットーは驚くが、次第に彼らの思想に共鳴していく。
  6. 当時、最高指導者が病に倒れ政情が不安定だったソ連は、打開策としてドイツにおける西側との「局地戦」を想定。
  7. ドイツが再び戦場となるのを防ぐには、ブラフとして「ウイルス兵器」の存在を東西両陣営に知らしめる他はない…と「真のベルリン市民」は結論し、専門家であるオットーの協力を要請する。(つづく)

※つづきは真のベルリン市民(その3)