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父オットー・マインの過去(後編)

ようやく! 真のベルリン市民(その2)の続きです。

  1. 西独陸軍情報部のヘルムート・グラス(前出)も、同じく西独陸軍のフランツ・フォン=ディートリッヒ中佐(准将?)も、秘密結社「真のベルリン市民」のメンバーであった。
  2. 1979年@西ベルリン 「真のベルリン市民」オットーにベルリン解放計画の概要を明かした上で、ウイルスの提供を要請する。しかしオットーはウイルス兵器が核と同等の破壊力を持つことを説明、「自分にはテロ行為はできない」と拒絶。
  3. 「真のベルリン市民」オットーに「ウイルス兵器が実際に使われることはない。脅しのみ」となおも説得。
  4. 1980年@フランクフルト(西独) 1年間、熟考したオットーはついに決意し、フリーズドライ化したマールブルク・ウイルスのアンプルをネフに渡した。
  5. 1981年1月、「真のベルリン市民」米・ソ・英・仏にウイルスのアンプルを送りつけた上、「ウイルス爆弾を貴国のどこかに仕掛けた」と声明。「ベルリン駐留外国軍隊の24時間以内の撤退」という要求をつきつける。
  6. 当然、各国の情報部はアンプルの出所を必死で追い、捜査したが、いちはやくウイルス学者オットー・マインにたどり着いたのは西独連邦情報局(BND)のカンプだった。
  7. 1981年@フランクフルト(西独) カンプオットーに接触。「真のベルリン市民」内にはソ連のスパイが潜伏しており、今回の「テロ」鎮圧を口実にベルリンの西側占拠をもくろんでいる、と暴露。オットーに翻意を迫る。(つづく…ハアハア) ブログランキング・にほんブログ村へ

※つづきは真のベルリン市民(その4)