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父オットー・マインの最期、またはベルリン空白の数時間

お待たせ! 真のベルリン市民(その3)の続きです。

  1. オットーカンプと別れた後、カンプが所属する連邦情報局に匿名の電話が。その内容は「アンプルは安全だし、爆弾はフェイクだ。その事実を米英仏そしてソ連に伝えてほしい」というもの。
  2. 電話の主はオットーと思われたが、彼はその直後に姿を消している。
  3. 1981年「実行日当日」*1@西ベルリン 「壁」の周辺はまったくの無人になっていた。看守塔にすら人影がない。オットーカール・ネフはそれを見届けた上で「真のベルリン市民」のアジト(東側)に向かう。
  4. 下水道経由でアジトに到達したオットーは、「真のベルリン市民」メンバーに作戦の中止*2を訴える。「組織に東側のスパイが潜入して過激な行動に走らせたのだ」と。
  5. 数時間後、メンバーは「おそらく次はない」と逮捕を覚悟しつつもオットーの説得を受け入れ、「次なる機会に賭ける」決断を下した(即ち、作戦中止)。
  6. 西ベルリンに米軍が戻り始め、東独警備隊にも部署に戻る命令が出た…との報がアジトにもたらされ、東側メンバーは西側メンバーに退避を促す。が、そのとき…
  7. オットーは「壁は、ベルリン市民全員が恐れず一斉に行進すればすぐに壊れる」ことを示そうと「歩いて壁を越える」決意を表明し、数名のメンバーが同調。
  8. 壁を目前にして西独陸軍のディートリッヒ准将はオットーに銃を向け、壁越えを阻もうとする。ディートリッヒは自分こそKGBのスパイであったことを明かす…が、その直後、飛来した銃弾に頭を撃ち抜かれて死亡。
  9. ショックを受ける「真のベルリン市民」西側メンバー。だが、オットーを先頭についに壁上に立つ。
  10. 他の2人が西側に降り立った後もオットーは壁の上に残り、「やる事がある」とツルハシを要求。それを手にした直後、監視塔から撃たれて死亡する。これがヨセフ・マインの父オットーの最期であった。(まだつづく!) ブログランキング・にほんブログ村へ

※つづきは真のベルリン市民(最終回)

*1:関係各国にアンプルが届いたのが1月10日、3日後に24時間の期限付きで軍の撤退要求…から計算すると1981年1月14日?

*2:ウイルスのアンプルは既に各国に送られているのに何の中止?と迷うところ。107頁にある「ベルリン再統一の意思を確かめる市民投票」を指すのか。